▪️平等
偏りや差別がなく
全てのものが
一様に等しいこと
▪️公平
偏りがなく
えこひいきの
ないこと
同じような意味に
感じる言葉ですが
実際は違う
平等は「始まり」
公平は「終わり」
同じイメージ
例えば
走るスピードが
速い人もいれば
遅い人もいる
平等は
スピード関係なく
スタートラインは同じ
公平は
スピードを考慮して
スタートラインを変え
ゴールを同じくする
コロナを例にして
考えてみると
平等は
マスクも定額給付金も
資産や年収に関係なく
国民一人一人に対して
同じ分量を支給される
公平は
国民一人一人の
資産や年収を考慮して
金額や分量を変える
平等は
お互いに与えたり
与えられたりできるが
公平は
自分の能力や努力の
度合いによって異なる
そう考えると
平等と公平の
バランスは難しい
人間は平等を謳いながら
自分の好き嫌いなどで判断し
自分の置かれている
立場や権力を自画自賛する
仕事上では
貢献度や能力関係なく
高学歴や自分の好きな人
忖度する人を昇進させる
女性が意見しただけで
「だから女性は…」と
性別で判断されたりする
それでは平等も公正もない
自分の立場が
社長だろうが
教授だろうが
医者だろうが
先生だろうが
一歩外に出れば、
そんなの関係ない
ただの人間であり
人間みな平等である
人間としての
スタートラインを忘れて
権力を振りかざすほど
無価値なものはない
福沢諭吉『学問のすゝめ』の
有名な冒頭の一節として
「天は人の上に人を造らず
人の下に人を造らずと言えり」
「人間は生まれながらに
平等であって差別はない」
と説いてくれています。
ここで完結すれば
その解釈で完了ですが、
実は、最後の「言えり」には
「言われてきたけど、実は…」
と一番いいたかったことが
記されています
「されども今広く
この人間世界を見渡すと
かしこき人あり、
愚かなる人あり、
貧しき人あり、
貴人もあり、
現にもありて、
その有様、
雲と泥との相違あるに
似たるは何ぞや」
→現実には
人と人との間に
大きな格差がある
この差は
どうして生まれるのか?
賢い人と
愚かな人は
何が違うのか?
福沢諭吉は
その理由を
こう説いています
「学ぶと学ばざるとに
より出来るものなり」
→人は平等に生まれてくるが
学問をするかどうかで
大きな差が出るのだ
だからこそ
福沢諭吉が熱心に説いたのが
『学問のすゝめ』だったのです
優劣は必ずできてしまうが、
それを覆すために勉強して
学を身につけるべきであり
学問を修めることが
自立するためには
重要だということ
この世に誕生した時は平等
学問を究め努力の結果が公正
生まれた環境や
立場など関係ない
自分の身は自分で守り
自立するために学ぶだけ
ワタシたちは
裏付けと根拠ある運勢鑑定を通して
学び続ける人を応援しています